徳川家康本陣地
武田軍に包囲されてしまった長篠城を救うため、家康は弾正山に本陣を置き、南北に流れる連吾川をはさんで武田軍を迎え撃った。まさに最前線であるこの地は、八剱神社周辺一帯が実際に家康が指揮した本陣地となる。家康がここを陣地としたのは、信長に援軍を頼んだ手前、最前線で戦わざるを得なかったためと言われている。現在は石碑が一つ建っており、家康が陣頭指揮をとった物見塚は、ここから約200mほどのところにある。
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住所 | 愛知県新城市竹広172 |
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TEL | 0536-22-0673 (設楽原歴史資料館) |
利用料金 | 無料 |
駐車場 | なし |
アクセス |
新東名高速道路「新城IC」から、車で約5分 JR飯田線「三河東郷駅」下車、徒歩約10分 |
本陣地から北西を見ると1kmぐらいのところに織田陣地が見える。最前線に立つ家康と、それを見下ろす信長。当時の二人の関係がうかがえるであろうぞ。