鳥居強右衛門磔死の碑
長篠の戦いの際に、岡崎城に援軍要請に出向いた鳥居強右衛門は、間もなく援軍が到着することを知らせるため長篠城に戻るが、城の一歩手前で武田軍に捕らえられてしまう。援軍が来ないと城内に叫べば助命すると言われたが、逆に援軍が間もなく来ると叫んだため、磔刑となる。長篠城の対岸で、城から良く見える場所であった。強右衛門の勇気ある行動に感銘を受けた武田方の落合佐平次は磔の姿を描き、自身の旗差物に使用した。この旗差物は現存する。
住所 | 愛知県新城市有海字篠原21-50 |
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TEL | 0536-22-0673 (設楽原歴史資料館) |
利用料金 | 無料 |
駐車場 | なし |
アクセス |
新東名高速道路「新城IC」から、車で約10分 JR飯田線「鳥居駅」下車、徒歩約10分 |
碑の文字は、徳川家16代当主徳川家達によって書かれたのじゃ。