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原隼人佐昌胤之碑

 

原昌胤(はらまさたね)は、父・昌俊の代から武田信玄・勝頼の2代に渡って仕え、布陣の配置や戦略を立てることを得意としたため、陣場奉行を務めた。天正3年(1575)の長篠・設楽原の戦いでは、勝頼に撤退を進言したが受け入れられず、連合軍の鉄砲隊に果敢に攻め入り討ち死にした。また、昌胤は治水工事でも功績を残したと伝えられている。

住所 愛知県新城市竹広字山形540-2
TEL 0536-22-0673 (設楽原歴史資料館)
利用料金 無料
駐車場 なし
アクセス 新東名高速道路「新城IC」から、車で約5分
JR飯田線「三河東郷駅」下車、徒歩約15分
ホームページ http://www.okuminavi.jp/search/detail.php?id=348