東京まで
81
分
名古屋まで
20
分
東三河の玄関「豊橋駅」は、新幹線(ひかり)で東京まで81分、名古屋まで20分。
東名高速道路と新東名高速道路の2本の高速道路が走り、車での移動もスムーズです。
※ダイヤ改正により所要時間が変わることがあります。
最新のダイヤをご確認ください。
東三河は、山と海に囲まれ、山間部から平野部を川が流れ、半島部の両側に海を擁する自然豊かな地域。奥三河では冬には雪が積もる一方、渥美半島では1月には早春の菜の花が咲きはじめ、各地の四季を彩る花模様も魅力。
東三河4つの観測所の平均が都道府県との比較で
2位
東三河4つの観測所の単純平均は、2247.32(時間)で
これは、全国平均1955.67(時間)と比べて大幅に長い。都道府県と比べると2番目の水準です。
課税対象所得が都道府県との比較で6位
東三河は、一人当たりの所得が高く都道府県と比べても6番目に位置づける水準です。
東京都の約2倍の広さ
東三河5市の1住宅当たり延べ面積は全国平均を大幅に上回ります。
東京都の約2倍の広さでゆとりの生活ができます。
都道府県との比較で5番目に子どもの割合が高い
年少者(15歳未満)の割合は13.7%。都道府県と比べると5番目に高い。
高齢者(65歳以上)の割合は7番目に低い。子どもが多く、活気にあふれた地域です。
0人
待機児童数は「ゼロ」。
夫婦共働きがしやすく、女性の活躍機会を創出。
人口一人当たりの総生産459万円
人口一人当たりの総生産は459万円。都道府県と比べると3番目の水準。
“元気な経済圏”を形成しています。
人口一人当たりの製造品出荷額等625万円
人口一人当たりの製造品出荷額等は625万円。都道府県と比べると1番目の水準。
“モノづくりが盛ん”な地域です。
全国の輸入車の約5割が陸揚
三河港は全国トップクラスの自動車輸出入港。自動車輸入では金額、台数ともに26年連続日本一で、輸入車の約5割が三河港から陸揚しています。
人口一人当たりの農業産出額22万円
人口一人当たりの農業産出額は22万円。都道府県と比べると5番目の水準で、
全国有数の農業王国です。漁業でも愛知県はあさりの生産日本一で、
その主な生産地は東三河です。
きく、バラ、洋ラン類など
全国に出荷
愛知県は、昭和37年から56年連続で花き生産日本一。
そのうち約7割を東三河地域で生産しています。きく、バラ、洋ラン類、観葉植物など、
高品質な「花き」を全国に出荷しています。
住民アンケートの結果等から見えてくる東三河のいいところを移住者の声とともに紹介します。
(移住者の声は2019年取材当時の情報です。)
住民アンケートでは、「東三河で生活していて良いと思うところ」の問いに対し、「自然に恵まれている・緑が多い」と答えた方が最も多くなりました。
自然豊かなところに
憧れて東京から夫婦で移住。
韓国出身で19歳の時に日本に留学しました。
大学卒業後、大学院に進学し、大学教員として研究の道へ。
政治学の博士号を取得したのを機に、夫婦で豊根に移住しました。
以前から自然豊かなところに住みたいと思っていましたが、偶然テレビで移住促進の番組を見て豊根村を知り、実際に数回訪ねて決めました。
一番の決め手はみどり湖の美しい風景にひと目惚れしたことでしょうか。
特に紅葉の時期がおすすめです。
今住んでいる移住者向け住宅は畑がついているので挑戦してみましたが、なかなか上手くいかずお休み中。そのかわり、村の方々が野菜をもってきてくれて助かっています(笑)。家で作った五平餅を届けてくれたり、困ったことはないかと声を掛けてくれたり、本当に良くしてもらっています。
現在、豊根村観光協会で広報の仕事を担当しており、東三河地域にも縁ができつつあります。
「花祭」では子供たちの舞う姿が印象的でした。
新城市に買い物へ行ったり、ドライブや登山を楽しんだり、魅力発見の毎日です。
なんの縁もなく思い立って来た豊根村ですが、家族との時間が増えたことが一番の喜びです。これからも愛する家族と仲良く暮らしていきたいと思っています。
妻の故郷で
ずっと楽しく幸せに。
石川県金沢市に生まれ、地元の出版社に就職しました。結婚を機に地元を離れ、静岡県袋井市の食品メーカーに勤務。妻が豊川市出身のため、将来のことを考えて妻の実家近くに住まいを移しました。
豊川市の民間企業経験者対象の職員採用試験を受けて、2018年4月から働いています。管財係は、市所有の土地・建物・備品などの管理が主な仕事で、豊川市に住んでいる方、来られる方に、「豊川市が何か良くなった」と感じてもらえるよう日々奮闘しています。
仕事柄、年配の方と接することが多いのですが、まちも人もおだやかで、自分に合っているように思います。金沢市、袋井市と居を変えてきましたが、それぞれに良さがあり、豊川市は住環境、自然環境の両方が揃っていて、とても快適です。
お気に入りの場所は、市内にある、東三河の風景をテーマに、山の自然をそのまま活かした「東三河ふるさと公園」。遊具や芝生広場があり、休日は家族連れで賑わっています。12月に長女が生まれたので、今年の春はベビーカーで散歩するのが今の楽しみです。実は豊川市以外の東三河地域は知らない場所が多いので、これから家族とゆっくり、自然や文化に触れていければと思います。
住民アンケートでは、「東三河のイメージ」の問いに対し、「ゆったりとした」と答えた方が最も多くなりました。
ゼロからイチの挑戦で
人を笑顔に。
大阪の出身で、都市銀行に就職し、転勤で豊橋に来たのがIターンのきっかけです。ゼロからイチにする仕事をしたいと思うようになり、同年代の代表が立ち上げたベンチャー企業に転職しました。
東三河の求人・企業・生活情報サイト「TASUKI」を運営する会社で、営業や採用情報の収集、取材・執筆などをしています。また、コワーキングスペース「Startup Garage」で週に1回、コーディネータ―として起業相談を行っています。現在は新サービスの「モグジョブ」に取り組んでいて、これは大学生と企業を“学食” でつなげるマッチングサービスです。東三河には実に様々な企業があり、学生にはそれらの企業を知ったうえで将来の選択をしてほしいと願い、開始しました。地方創生プロジェクトとして豊橋商工会議所と業務提携を結び、全国展開もしています。
東三河は各市町村ごとで独自の文化を持ちつつ、連携も取れた魅力的な地域です。新しいコトにも寛容で、何でも挑戦できる環境にあります。自分に求められていることは何かを考え、それが成し遂げられ、成果に対し感謝してもらえることが今のやりがいになっています。
女性の視点で
森と街をつなぐ。
主人の仕事の関係で設楽町に来て5年になります。隣の三重県出身ですが、実はどんなところか何も知りませんでした。住んでみると、自然に囲まれ、環境も人もモノも豊かなことに気づき、勝手に「奥三河調査隊」と名乗って、奥三河のいいところ、楽しいことをSNSで発信しています。
また、住民の方の“暮らしと仕事”の境界線が近いことに魅力を感じ、会社勤めを辞めて、2017年に森のセレクトリサイクルショップ「noix(ノワ)」を立ち上げました。設楽町を中心に奥三河地域の商材の発掘調査を行い、より魅力的になるよう手を加え、街につなぐというものです。
新城のお年寄りが生産・加工・販売している「ルバーブドレッシング」もそのひとつ。もっと多くの人に知って欲しいという思いから、女性好みのパッケージに変えて、現在は名古屋のグロッサリーに営業しています。まちおこしという大げさなものではなく、より多くの人に奥三河を知ってもらいたい気持ちが強く、女性の視点で活動を始めました。
これからも地域の資源を最大限に生かし、森の素敵なものを、街の人とシェアしたいと思っています。私の活動に寄り添いサポートしてくれる地域の方々には感謝しかありません。
海・川・山、多様な自然を生かしたスポーツイベントが各地で開催。
極上のスポーツフィールドが揃い、サーフィンやセーリングの世界大会など、
世界・全国レベルの大会が開催されています。
毎年開催される
主な
スポーツイベント
サーファーと
子育てに優しいまち。
大阪で生まれ育ち、30歳の時に忙しさで体を壊したのをきっかけに仕事を退職。やりたいことをしようと、サーフィンをしながら5年ほど海外を旅していました。自然や人とのつながりに人生観が一変。お金には変えられない幸福感を味わうことができました。
その頃知り合ったサーフィン仲間が田原の出身ということで、度々訪れるようになり、そのまま居ついています(笑)。イタリアで飲んだおいしいエスプレッソが忘れられず、エスプレッソの屋台から始め、2012年に『DIEZ café』をオープン。田原で家族ができ、コミュニティーづくりも考えていたので、その拠点にしたいという思いもありました。
現在、畑でハラペーニョをつくり、ドレッシングに加工して、カフェの料理に使用。道の駅などで販売もしています。「たはらブランド」に認定され、いつか本場メキシコに輸出するのが目標です。田原には自分のルーツがあるのでは?と思うほど、居心地の良さを感じています。
サーフィンをするのもサイコー、子育てするにもサイコーの場所。移住者も増えてきており、子どもたちの将来のためにも住みよいまちづくりに関わっていきたいと思っています。
自転車を通じて
蒲郡の魅力を発信。
祖父が西浦町で大衆食堂を営んでいたこともあり、自分も店を持つのが夢でした。九州の大学で建築を学び、住宅メーカーに就職。その後、ラーメン店を開業しましたがうまくいかず、地元に戻れば何かしらの仕事はあるだろうとUターンしました。
地元で店を出すため、資金づくりに会社勤めをし、その時出合ったロードバイクが今の店のコンセプトにつながっています。「チャリレースi n西浦」に夫婦で参加したのをきっかけにハマり、2017年サイクルラックを設けたカフェをオープンしました。
竹島水族館に隣接しているので、竹島や水族館を訪れた観光客が店を知って、次に自転車で来てくれるのが理想ですね。徐々に自転車乗りにも知れ渡り、ツーリングの団体やプロ選手も来てくれるようになりました。
蒲郡周辺は、平地でありながら海も山も近く、サイクリングには最適。温泉観光地でもあるので、輪行にもおすすめです。カフェを拠点に、蒲郡の魅力を発信し、自転車乗りのコミュニティーの場になればと思っています。片道100km圏内のお客様を対象にしているので、東三河地域のおすすめスポットもどんどん紹介したいですね。
住民アンケートでは、周辺地域の人たちと比べて地域に愛着を持っている方が多くなりました。
地域活動が
自分自身の成長に。
大学で一度新城を離れましたが、地元に戻り、現在は豊川市にあるジュエリーショップで販売の仕事をしています。帰省する度にホッとする感覚があったので、就職は家から通えるところを希望しました。
これまで新城市の若者議会や女性議会に参加してきましたが、まちづくりに興味をもったきっかけは、高校卒業後地元に残った同級生の活動にあります。若者議会の前身である「ユースの会」で真剣に新城のことを考えている姿を見て感化され、大学4年の時に若者議会に参加。大学のゼミでは「持続可能なまちづくりのためのプロジェクト」に取り組み、卒論のテーマにしました。自分がまちづくりに関わることで、まちの活性化だけでなく、新城を知らなかった人に知ってもらえているという実感があり、それが市の活動に参加するやりがいにもなっています。
自分の住んでいる場所に感心をもつこと、参加することで、まちの良さを知ることができ、改めて愛着をもつことができました。女性議会では多世代の女性とつながることでコミュニケーション力を学び、接客の仕事にも活かされています。生まれ育った新城はもちろん、人の温かさを感じる東三河に愛着があるので、今後はもっと同世代を巻き込んで、環境づくりなど新たなチャンレンジもしていきたいですね。
自分たちの手で
地元を良くしたい。
母校の小学校が廃校になり、荒れ果てた姿を見た時、東栄町自体がその姿になってしまうのではないかという危機感にかられました。いまのうちに自分からできることをしなければと、まちづくりのノウハウを学ぶため大学を飛び出し、民間の会社でまちづくりを学びました。県の「三河の山里起業実践者」にも挑戦し、地元のまちづくりに携わるようになりました。
それから、1年間は廃校の運営スタッフやお茶農家の手伝いなどの多業の暮らしを経て、2018年4月から集落支援員に就任。住民と行政の間に入る立場として、地域で暮らし続けるためにはどうしたらいいのか、住民の思いをカタチにする機会や場所を設けるところから始めています。
奥三河には700年の伝統を誇る「花祭」があります。地域の子供から大人まで参加し、生活の一部になっています。地元を離れた人も祭りには必ず帰ってくる大切な文化です。ただ、継続が難しくなった地区もあるなかで、地域と祭りの継続が重要な課題となっています。そのためにも地域で人を育て、地域で支え合うこと。奥三河は人の顔が見える絆の強い地域です。繋がりを広げ、できることが増え、目に見える変化が起きていく、そんな地域の可能性にワクワクしています。
住民アンケートでは、正規雇用の仕事や自分のスキル、経験を活かせる仕事があると答えた方が多くなりました。