豊根村 その他
~若者定住今昔物語(今編)~
今回は、地域の若い女性同士の絆を深めたいという「想い」がキラッと光る新木(あらき)香奈子さんの紹介を通して、若者が根付く一例と「外から目線」の気付きや「これから目線」の想いなどをお伝えします。
若者定住の今昔物語として今編・昔編を読み続けると、きっと豊根村のキラッとにも気付かれるでしょう。
香奈子さんは、「緑のふるさと協力隊」で豊根村と出会い、そして旦那様とも巡り会った女性です。
「協力隊」に参加したきっかけは
田舎暮らしに興味があって、たまたま仕事をやめて新しい仕事を探していたときに、ちょうど募集をインターネットで見つけて「これだぁ!」と応募したのがそもそもの始まりです。
両親は山形県出身で、集団就職で横浜に出て来たんですが、私は生まれも育ちも「ハマッ子(横浜ッ子)」です。
田舎に対する良い印象を持ち続けているのは、幼いときに祖父母の家へ行ったことが何回かあるんですが、楽しいことばかりやらせてくれたからだと思います。
自分の将来をどう考えましたか
高校生くらいから大学進学を考えたとき、どういう道に進むかと考えたときに、環境とか自然とかに興味があったので農学部に入りました。
でも、仕事としては事務に就いてて、興味はあっても踏み出せなかったんです。
「協力隊」の赴任地は希望でしたか
受入先一覧から第三希望まで出せるのですが、受入側と隊員の相性を合わせて事務局が決めるとのことでしたので、どこでもいいですよという感じでした。
ただ、元々住んでいる所に近い場所には派遣しませんよという話だったので、愛知と神奈川は近いから赴任先とはならないと思い、他県を希望していました。
豊根村に決まってからは
行くとは思ってなかったので、実は全然知らなかったんですよ。
インターネットで検索して探しました。
どこに派遣されようと田舎であることには変わりはありませんが、大学では林業、森林関係を専攻していて興味がありましたので、農村よりも山村に行きたかったんです。
希望通りだったのかなと思っています。
村ではどのような活動を
例えば、茶臼山の売店のお手伝いとか、村直営ブルーベリー農場の草むしりやブルーベリーの摘み取り、保育園で子どもたちと遊んだりデイサービスでお年寄りと話をしたりしました。
富山地区では、山村留学のキャンプを手伝ったりもしました。
その中で一番印象深かったことは、子どもたちとの触れ合いです。
街の子と違って、人懐っこいんですよ。
人見知りをしないんですよね。
すぐ「あべちゃん(旧姓阿部)」って寄って来てくれるんですよ。
一日で慣れてくれて、どこで会っても「あべちゃん」って。
のびのび育っている感じがいいなって思いました。
山村留学を手伝った感想は
面白かったですよ。
長期で来ている子は4人でしたが、街から短期で来る子たちは時間が経つにつれて、村の子と同じようにだんだんのびのびと開放的になって、積極的に動けるようになっていくのが印象的でした。
最初は何をして遊べばいいのかわからない子も、だんだんとわかってくると子ども同士仲良くなって遊べていたのは、ある意味「じ~ん」ときました。
つらかったことは
あまりなかったですね。
草むしりで虫に顔を刺されたときはびっくりしましたが(笑)、けっこう楽しく作業していました。
確かに、他県に行った隊員の中には、農作業をやりたくて行ったのに、「道の駅」での売り子はいやだという人もいました。
私も茶臼山の売店でレジ係をしたこともありましたが、いっしょに働いている人たちがみんな村の人たちなので、そのまま交流の場となり、それはそれで楽しかったんです。
村の魅力って
人が温かいですよね。
いきなり一人で来ても、「協力隊」は何年も続いているので、「協力隊」って言えばわかってくれるし、いっしょに仕事をすることになればすぐに声をかけてくれます。
こういうところに安心感がありましたね。
車の運転が苦手ということがわかると向こうから「乗ってく?」とか「いっしょについて来る?」とか言って車に乗せて連れてってくれるんです。
シルバー人材センターのお年寄りは、仕事を黙々とやるんですが、いろんなことを知っていて教えてくれるし、お漬物を作って食べさせてくれたり、余ると持っていきなと持たせてくれました。
そういうお付き合いを通じての「人の絆」は魅力だと思います。
「協力隊」から離れても顔なじみの方などいろいろな人が、「がんばってる?」「大変だけど、がんばってね。」とか声をかけてくれるのがうれしいんですよね。
これからの夢とか目標とか
お店には女性や家族連れがもっと来て欲しいですね。
水曜定休にして土日営業しているので、外からの人も呼び込みたいですが、もっと村の人たちにも来て欲しいなって。
親戚のおじさんからのアイデアでバイキングを新メニューに加えましたが、ワンパターンになりがちなので、「料理は変わったものにした方がいいんじゃない」とか「こうした方がいいんじゃない」とかよく言っています。
今のお客様が男性中心で、私としてはもっと女性に来て欲しいので、そういうのに対応したメニューを考えていきたいなと。
今はお店の切盛りで一杯いっぱいなので、これらいくらいですかね。
もともと料理やお菓子作りは好きなので、どこかで活かしていきたいと考えています。
若い男性は地元の人が多いので繋がりがありますが、若い女性にはあまりないように感じるので、そういう繋がりを大事に作っていきたいですね。
ここら辺りで「交流居住」に向けての気付き話を
「協力隊」で来た私とは状況が違うと思うので詳しくはわからないですが、街から来てこちらに定住した方によると、村の対応は、来るまでは「おいで、おいで」ですが、来たら「後は自分でどうにかしてね」って感じだったとのことで、住む地域にもよりますが、奥の方では外の人を受け入れにくい雰囲気もあるようです。
だから「お役」をやったりして地域の人に馴染むのに5年くらいかかったよって話もありました。
定年退職でリタイアしたから田舎に住みたいって来る方もいるかと思いますので、そうなると難しいのかなって・・・。
「おいで、おいで」のアフターケアももう少しきめ細かく対応してくれるといいなって話も聞きました。
最近、若いご夫婦でよく食事に来てくれる方たちは、外から来た人たちですが、子どもがいて花祭りに参加したりして馴染んでいるようです。
若者定住に向けてご意見を
主人の同級生や若い人たちでも戻って来た人がいますが、やはり仕事がないと戻りづらいですよね。
私の印象ですが、田舎というとお年寄りが元気というか、おじさん、おばさんもがんばっていて、それはそれでいいことなんですが、やはりもっと若い人が自分たちで盛り上げていかないといけないのかなと感じます。
この村は、若者がいろんなことをやっているんだよということを、もっとPRしていかないといけないんじゃないかなと。
そうすれば、若者ももっと来てくれるんじゃないかなと思います。
自分たちで自分たちのことをもっとPRする。例えば、インターネットを通じてやるとか、手段はありますよね。地区の活動ももっと若い人たちがやらないといけないかなと。そういう人たちがいると、受け入れる
人たちが若い人だと外の若い人たちも来やすいかなと思います。
ふるさとでの「起業」を考えると
帰ってくるきっかけとしては、まずどこかに勤めてというか、勤めるところがあれば帰って来やすいですよね。
何もないところに戻っていきなり「起業」するっていうのは難しいのかなと思います。
横浜にいたとき、田舎に行きたいなと思ってはいましたが、いきなり田舎に行っても仕事がないな、生活できないなと。
移住や定住を考えたときに、仕事はどうするのかということは自分でも考えたので。
高齢化による若者への依存度は
地区の行事や役割を見ても、やることが多くて忙しそうだなと。
人手が少ないので、たくさんの「お役」を持っていますね。
実際に動ける人たちが少ないので、どこへ行っても顔ぶれがいっしょです。
その分まとまりがいいですね。
私は今、地域に対して特に何もしていませんが、お店が落ち着いたら活動を再開したいですね。
茶臼山の芝桜で忙しい時期は人が集まれないみたいです。
若者定住向けのPRを
その時々に見える景色とかはお薦めですね。
春には花が一気に咲きます。
芝桜だけじゃなく、土手に植わっている水仙もきれいですし、花桃も咲いています。
5月から6月なら新緑ですね。
梅雨の前には緑が濃くなってきれいです。
街の人たちにとっては、そういうのがいいのでは。
そういうのを伝えていくことがPRだと思います。
お店でもそういう情報をネットに載せていけるといいのかなと思っています。
いつになるのかなぁ・・・(笑)。
そうそう、豊根村というと茶臼山だけじゃなくて、もっと他にもいい所があるということを伝えていくことが大事かな。
出典
「キラッと奥三河 ―人・物・文化・企業―」
No.7 「出会う」は「暮らす」の始まり 新木香奈子さん
訪問日 平成22年5月25日
訪問者 新城設楽山村振興事務所 山村振興課 袴田、杉浦